トップ  >  ものみの塔の統治体は思慮深い奴隷ではなく『よこしまな奴隷』だ
にせ預言者、輸血禁止、天然痘

前の文では、この思慮深い奴隷は、実はイエス・キリストのたとえ話の一部分であって、後半の「よこしまな奴隷」にならないように気をつけなさいという警告だということを書いたつもりです。


問題は、このイエスキリストのたとえ話に出てくる『思慮深い奴隷』は、自分たちのことだとものみの塔統治体が主張しているということです。


たしかに彼らものみの塔統治体は、全世界で多くの食事を食べさせなければならない奴隷を抱えている「奴隷(ここでは管理者的な意味だろう)」であることは、だれしも認めるであろう。


しかしだからといって、彼らが『忠実で思慮深い奴隷』であると、彼ら自身以外に誰が言うことができるだろうか。


彼らは、チャールス・テーズ・ラッセルの創始以来、何度も実現しない予言をしてきたことは、歴史的な事実である。いくら熱心な兄弟が言ってしまったなどとごまかしてもそれは何でもいうことを聞く素直なエホバの証人たち以外には通らない事である。


それらにせ預言の大方は自分たちの機関紙であるものみの塔を通じて書かれているのであるから、ごまかしようがないのである。


一度でもそのような預言をした場合は死ななければならないと聖書には書かれているのだ。


彼らの誤導はそれだけではない。天然痘の蔓延しているときに、その免疫をつくるための種痘を禁止したのである。聞くところによると、これはさすがに無理だったようで、統治体の中の子供が天然痘で死んだりしたために、あわてて禁止を解いたという話しである。まったくみっともないというか根拠のない場当たり的な指導が明らかになってしまったじつれいであろう。


しかし、懲りない例はまだまだ続いているようだ。それは輸血禁止である。この事については改めて書きたいと思っているが、純然たる医療行為である輸血を禁止しているのである。神様が与えてくださったこの命を助けるための医療を聖書のどこにも書かれていない事によって人の命を失わせるのである。


このようなことを繰り返している彼らものみの塔統治体は『忠実で思慮深い奴隷』ということができるだろうか。『忠実で思慮深い奴隷』であれば、聖書に反することを神のことばと言って従わせることなどあり得ない。


しかし彼らは堂々とやっているのである。彼らはよこしまな奴隷として神に裁かれることになるだろう。(この項終わり)