投稿者 : webmaster 投稿日時: 2011-11-08 03:38:58 (523 ヒット)

ものみの塔は、いや、統治体はものみの塔を通して何よりも大切なのは神の国だと言っている。そして神の国を宣べ伝えると言うが、イエス・キリストに選ばれて異邦人の伝道に遣わされたパウロはイエス・キリストを宣べ伝えると宣言し、実際イエス・キリスト以外のことを糞土のように思うと言っている。

 マクグラスは、「パウロは、イエス・キリストの死と復活を宣べ伝えたが特に死について詳しく考えたようだ」と言っている。 

 そしてイエス・キリストを主とする教会は、カトリックもプロテスタントも例外なく、イエス・キリストの死と復活を想い出し、表す儀式、聖餐式やミサ、そしてその式文にそのことが銘記されている、と言っている。
 
 このことは使徒たちから始まって粛々と受け継がれてきたのであって権威があるという。

 自分に理解できないことは信じないというのが啓蒙主義の流れで、ものみの塔もその流れに属するわけだが、使徒たちはイエス・キリストにじっさい会ってその印象と教えを聖書に記した。啓蒙主義者たちが1000年も経過してのちにイエス・キリストについて言うことが何故使徒たちより正しいと言えるのであろうかとマクグラスは言っている。

 ものみの塔は、啓蒙主義者たちの系譜に属することはあっても、使徒たちの系譜には属していないようである。ふつうに考えてもわかるように実際に会った人は、実際に会っていないで文句を言う人より正しくその印象を伝えることができると思いますが、ものみの塔の統治体の方々は、またエホバの証人の方々はどのように考えますか。

あのトマスは、復活のイエスに会ったとき「わが主、わが神」と言って礼拝した。

その後イエス・キリストを信じる人々はイエスに礼拝をささげた
という事実。(この項終わり)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2011-11-05 11:31:01 (602 ヒット)

東京の水は、「東京水」と呼ばれて売っていて、地方から来た人で買って帰る人もおられるらしい。でも東京のマンションに住んでいる人はなかなかそのようなきれいな水を飲んでいる人は少ないようだ。東京に住んでいるのに何故?と思う方もいるだろう。

 それは、マンションの給水の仕方にある。マンションでは、水を一時的に貯水槽に貯めておきそこから各戸に給水する。その時貯めてある貯水槽が思っているような清潔さを保つことができないことが原因である。貯水槽は一年に一回くらいの清掃をするようだが、その中にゴミがたまったり落ち葉が落ちていたり、ゴキブリが入りこんで死んでいたり、ひどい時にはドブネズミの死がいが浮いていたりでなかなか清潔に保つことが難しいからだ。

 しかし考えてみるときれいな水を水源から直接取り入れていないのは、マンションの住民ばかりではない。
エホバの証人の人たちもそのようなことをやっていて平然としているような気がするのである。

 きれいな命の水の水源である聖書から直接にきれいな水を飲まないでわざわざ「ものみの塔」や「めざめよ」などの汚れた水道管を経由して飲んでいる。エホバの証人は、
聖霊に動かされた人たちによって書かれた聖書を偽預言者を通して違ったメッセージを聞いている。

 エホバの証人の方にお願いしたい。聖書とものみの塔の記事とを比較してみてもらいたいのである。ものみの塔やめざめよによって聖書の記事がゆがめられていることがお分かりになるだろう。

 聖書からいのちの水を直接飲んでイエス・キリストの救いに預かろうではないか。(この項終わり)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2011-10-25 18:29:02 (558 ヒット)

私たちはどのようにして神を知るようになるのでしょうか。

このような質問にはギクッとします。

そしてこの著者は続けてどのような方法で知ったかによって、その知識はおおかた決定されると言っています。

たとえば月の表面についての私たちの知識は、太陽光の反射によって知るものでした。それは大した量のものではありませんでした。しかし何十年かして月の表面から持ち帰られた物質によって詳しい調査ができたとき私たちの知識は格段に進歩しました。

しかし月が変わったわけではありません。

私たちはどのようにして神の知識を得たでしょうか。ものみの塔によってでしょうか。
聖書によってでしょうか。
あるいは漫画によってでしょうか。

私たちの知識のルーツを知ることは、ある場合には、そしてある意味では何にもまして必要なことかもしれません。
(この本の著者はアリステア、マクグラスです。)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2011-09-29 19:32:40 (546 ヒット)

イエス・キリストは、たとえを用いてお話をされた。そして弟子たちにその理由を聞かれたとき、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また悟ることもしないからです。(マタイ13:11〜13)と答えられた。

イエス・キリストが話されたとき、イエスを否定する人たちに話す場合が多かったようでありそのためにもたとえによって誤解をされないように内容を伝えなければならなかった。

エホバの証人は、このことを自分勝手に利用して、だから聖書は聖霊によって理解しなければならないなどと言っている。

だが本当にそうだろうか。イエスはまた弟子たちに話したときもそうだったし、弟子たちはイエスの言葉をやはり理解できなかったようである。

また今現在私たちが聖書を読むときそのようなことが言えるのだろうか。

イエス・キリストのそのたとえ話を読んでみていただきたい。読んだ方はたとえ話がそのままわからないままになっていないことがすぐにお分かりになるであろう。イエスは必ずそのたとえの解き明かしをしていることがわかる。弟子たちに解き明かしをされたその解き明かしが逐一記されているのである。

イエスが言われたたとえの意味は、今読んでいる私たちに、聖霊のそそがれていない私たちに解き明かされている。そしてその意味をよく理解できるのである。

イエスは、また聖書は、聖霊のそそがれていない私たちに、聖霊によって語られたことを丁寧に教えておられるのではないだろうか。そして語られたお話の霊的理解を促されているように思われる。

だから私たちは聖書を読んでいくうちにその意味を理解し、ついにはイエスキリストの真理に招かれイエス・キリストを信じて聖霊のそそぎを受けるようになるのだと思う。

全能の神からのお手紙であれば、そのようなことはお見通しであり、聖霊の導きによって正しい理解をすることができるようになるのです。

神は決してものみの塔統治体のするような全く違った意味として誤解をするようには導かれないのであります。(以上)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2011-09-24 21:51:51 (564 ヒット)

<p>イエス・キリストは信じる者の罪を赦すために十字架にかかった。このことは聖書にどこにでも書かれているし間違いのない事実と思っていた。</p>
<p>エホバの証人は、イエスによって罪を赦されるのは天に行く14万4千人だと言うが、これは何ででしょうか。</p>
<p>聖書には人間が2種類に分けられるとはどこにも書かれていない。またイエスの犠牲によって赦されない人はいないはずであるのに。</p>
<p>エホバの証人はひどい現実を見せられている・・・統治体の誤導によって。</p>
<p>エホバの証人はかわいそう!</p>


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