投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-08-17 21:22:40 (5 ヒット)

このところ、皆さんお分かりのように写真の投稿欄に妨害投稿が相次いでいます。このおかげでいずれこのブログを止めなければならなくなると言われています。そこで妨害投稿をする人たちに一言お願いをしたい。
何故あなたたちがいまなぜこのブログに妨害投稿をするのか、分かるような気がするけれど聞いてみたいと思います。
このブログに書いてあることに反対なのでしょうか。それともだれかに命令されて・・・?
あなたがたがこのような妨害投稿をしていると、このブログをやめなくてはならなくなるそうです。それがあなたがたの狙いかもしれないが・・・。

正直、あなたがこのブログを読んで、このブログはあなたの役には立ちませんか?
あなたは、エホバの証人になったのは、聖書の神のことばに魅かれたからではないのでしょうか。もしそうならば、あなたがエホバの証人であり続けるのは、聖書の神の御言葉の約束を得られなくなるとは考えないでしょうか。ものみの塔とエホバの証人に従っているうちに聖書の神の約束は、いつの間にかあなたから遠ざかっていると私は思います。ぜひもう一度聖書の神の約束を思い出して聖書に帰ってください。

私は、あなたがエホバの証人を続けてやっていても、聖書のエホバに喜ばれることはないと確信しています。もちろん聖書に書かれている、神からの救いに与(あずか)ることはないと思われます。なぜなら、その理由はあなたが妨害しているこのブログに書いてありますが、読んでいただけたでしょうか。是非読んでください。そして神がイエス・キリストによって与えてくださるみ救いにぜひ与ってください。そして妨害投稿をすぐに止めてください。お願いします。


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-08-16 21:28:42 (10 ヒット)

エホバの証人は、聖書は神のことばだという。しかし、彼らの引用する聖句以外は、いくら聖書の言葉を引用しても、エホバの証人はそれを神のことばとは認めない。
だから彼らエホバの証人が従っているのは、「聖書」のことばではない。彼ら統治体が認めた聖書のことばなのだ。分かりにくいから、もうひとこと言うが、聖書に書かれている言葉でも、統治体が認めなければ神のことばではない。統治体が認めた、つまり「ものみの塔」や「めざめよ」に書かれて初めてエホバの証人は神のことばと認めるのだ。

だから彼らが自分のことを、クリスチャン、クリスチャンと連呼しても、また聖書の神やキリストを信じているわけではない。

エホバの証人の方で本当にエホバ神に従いたい人は、是非とも、自分が現在やっていること、現在信じていることなどと、聖書に書かれている全てのことに照らして、それが正しいのかどうかを調べてみてください。なぜなら聖書に書かれていることがすべて神のことばなのですから。そしてそうすれば、すべての神のことばは、イエス・キリストを指していることがお分かりになるだろう。神はすべての人が救われることを望んでいる。
『神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。(テモテ第1の手紙2:4)』


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-08-14 09:52:10 (13 ヒット)

「正しい者は地を受け継ごう。そして、そこにいつまでも住みつこう。」
(「正しい人は地を受け継ぎいつまでもそこに住む」(新改訳2017))
JWは、この聖句によって彼らは「地球は永遠に続く」と主張する。
「そこ」というのは、「地」であり、そこに「いつまでも住む」というのだから、地すなわち地球は永遠に続くというのが、JWの理屈なのだ。
詩篇は大事な聖書の一部であり、この聖句にも真理が含まれないとは決して言えない。しかし、JWのように、この聖句だけが聖書の主張だとは言い切れないだろう。
詩篇は旧約聖書に属するものであり、確かに神の預言者のことばと言って良いだろうが、預言はそれで全部ではない。
(もっとも「地を受け継ぎ」ということばが、はたしてJWの言うように、「地球を受け継ぐ」という意味なのかは非常に疑わしい。)

最終的な神のご意志は、イエス・キリストが現れる新約聖書において、確かに示されると思われる。それはヨハネの福音書1章18節にはっきりと書かれている。
「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」とある。
またへブル人への手紙1章1節には
「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、またいろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。」とあり、神はイエス・キリストによってみこころを語られたと聖書は語っている。
また、イエス・キリスト自身も、ヨハネの福音書において次のように語っている。
「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことはできません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。」(ヨハネ5:19)

では、JWの主張である「地球は永遠に存続する!」ことについて、イエス・キリストは何と語っているだろうか。マルコ13章31節には
イエスの言葉として「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばはけっして滅びることがありません。( 「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」新改訳2017)」とある。

JW統治体は詩篇の37篇の言葉を前提にさまざまな教理に作り上げている。
たとえば、彼らの重要な教理である天の王国政府に属する14万4千人と「地上で永遠に生きられる大群衆」もその大きなひとつである。天地は滅びる(または消え去る)ということが聖書の神の預言であれば、当然「地上で永遠に生きる」大群衆にあたる人たちもいなくなってしまう。救われた人が天に行く14万4千人だけであれば、これから救われる?であろう一般のエホバの証人の行き場はなくなってしまうことになる。彼らは一般のエホバの証人の行き場を確保するために永遠に生きる場所を確保して彼らを繋ぎ止めなければならないのだ。これは彼らエホバの証人統治体が働き蜂を確保するための重要な理論なのだ。

だから彼らJW統治体は、懸命に詩篇の37篇29節を強調しなければならないのだ。
(続く)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-08-05 17:18:18 (17 ヒット)

    

私がある神学校に通っていた時、朝のデボーションの話しの中で、ある教師が「祈ってから聖書を読みなさい。」と言われた。
私は、その時ふと疑問を感じた。なぜこの方は「聖書を読んでから祈りなさい」と言わないのだろうかということだ。

私は、聖書を学ぶためにこの学校に来ている。聖書には神様について正しいことが書かれている。ならば、聖書を読んで正しく祈るのが、良いことなのではないか、というのが本当ではないだろうか。隣にいた人にも確認してみた。確かに先生は祈ってから聖書を読むように言われたことがわかった。

どっちでも良いことかもしれなかった。祈りを先にするのか、それとも聖書を読むのが最初か。何故かそのことに引っかかった。

そのうちにヨハネの福音書を読んでいた時、5章39節にあった。以下のように書かれていた。
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。それなのにあなたがたはいのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。」(ヨハネ5:39〜40・新改訳2017)

わたしは、ハットした。私はこの聖句にあるように、聖書の中に、神を、またキリストを追い求めていたのではなかったか。神もキリストも、この聖書の中に閉じ込められているわけではないはずだ。この聖書には、確かに神が書かれているだろう。またキリストも書かれているだろう。そして永遠のいのちのことも。罪の赦しも。

しかしそこに書かれているのは、この世界の、この宇宙について、大事なことが書かれているだろうが、すべてではないし、実際のことは聖書の中にあるのではなく、聖書が実際のことの一部分を書いているのではないかと気づかされた。
聖書が現実世界について書いているのなら、現実はさらにもっと大きいものではないかと考えさせられた。

エホバの証人のものみの塔ほかさまざまな書物についても、同じことが言えるのではないか。ものみの塔が聖霊によって書かれているというなら、エホバの証人たちは、その書物を読むだけではなく、エホバ神に祈って、聖霊を与えてもらいなさい。そして聖霊によって聖書の真理を教えてもらうことができるはずである。エホバ神は「ものみの塔」や書籍よりもずっと大きいものであるはずだから。(この項終わり)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-06-26 19:11:49 (66 ヒット)

エホバの証人は、聖書は神のことばだという。そしてそのことばにふさわしく!聖書のことばを多く引用しているようだ!そして彼らの「真の聖書」とも言われる「ものみの塔」や「めざめよ」などという機関誌にも聖書のことばをふんだんに引用する。

そのような彼らを見ると、なるほど彼らは聖書を信じている人たちだなあ!と感心する人もいるかもしれない。もちろんエホバの証人自身も、「私たちは聖書をよく学んでいるし、聖書に従っている唯一の宗教団体だと思って自慢しているかもしれない。現に彼らは自分たちの学びは、驚くことに、キリスト教の神学校を卒業した人たちよりも聖書をよく勉強しているし、さらによく知っていると自負しているらしい。

 しかし早く言ってしまえば、彼らは、ものみの塔を書いてくる統治体も、それを読むエホバの証人も神を信じていない。もっと言うと、聖書に書かれているとおりに神が人間をお造りになったということを信じていないのかもしれない。これは、聖書を神のことばと信じるキリスト教の人たちにとっては驚くべきことだと思う。(そう、中にはそのように信じているキリスト教信者もいないとは言えないかもしれないが。)

 エホバの証人統治体は、神のことばである聖書を、たとえば百科事典のように引くのだ。聖書に書かれていることは「真理!」なのだから、書かれている言葉を利用して自分たちの言いたいことを言うというのが、エホバに従い彼らの聖書を利用する方法なのだ。

 聖書に書かれている神のことばに、つまり神の言われることに従うために聖書を読もうとはしないのだ。却って、その「正しい」神の言葉を利用しようとする。

一般に、聖書を信じる人たちは、神がこの世をお創りになったこと、また神の摂理によってこの世が動いていることを信じて、神を崇めて従おうとするのではないだろうか。しかし驚いたことに、彼ら(エホバの証人統治体とそれに従う人たち)は神に従うことを目的にせずに、神が言われたとすることば聖書を利用しようとする人たちなのだ。

 そういう人たちを、神はどのように思われるだろうか。

 しかし残念なことに、彼らエホバの証人は、そのような勝手な解釈から逃れることができない。何故かと言えば、自分で聖書を読んで文字通りに解釈しようとすると、常に聖書の以下の言葉によって、妨害されるのだ。
「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。(ペテロ第2の手紙1:20)」(この項終わり)


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