投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-06-13 07:16:13 (55 ヒット)

 もう一度天地の教理にもどってみよう。
もし聖書のさまざまの箇所で言われている「天地は消え去ります。」が、聖書のいうとおりであったならば、一般の敬虔なエホバの証人の行くべきところはなくなってしまうことになるのだ。彼らが一生懸命に信じている「地上で永遠に生きる」その場所がなくなってしまうことになる。これは大変なことになる。統治体は、聖書の教えに逆らって、なんとか一般の敬虔なエホバの証人の行くところを作らなければならないのだ。

 それでエホバの証人統治体は、「天地は消え去ります」をいっしょうけんめい否定しなければならないのだと思います。

エホバの証人は、「なぜ天地は滅びるだろう。しかしわたしの言葉は永遠に立つ。」ということばに反発するのだろうか。このことばは、旧約聖書から、新約聖書にいたるまで繰り返されている言葉なのだけれど。最近の翻訳新改訳2017の聖書にいたっては、天地は滅びるではなくさらにある意味でははっきりと、「天地は消え去る」との翻訳になっている。

 お分かりと思うけれど、この世の終わりについて聖書に書かれていることである。聖書はこの「天地」ということばは、神の被造物のすべてと考えて当然と思われる。
たとえば
詩篇102篇25節以降を見てみよう。
「あなたは はるか昔に地の基を据えられました。天も あなたの御手のわざです。これらのものは滅びます。」とあり、続けて
「しかしあなたは とこしえの方です。すべてのものは 衣のようにすり切れます。外套のように あなたがそれらを取り替えられるとそれらはすっかり変えられます。」とあります。

この御言葉を読むと、神には、ものみの塔が言っているような「地を人の住みかにするという(神の)お目的」はないのではないでしょうか。なぜ、これらの言葉を象徴的な意味に理解しなければならないのでしょうか。
この「地が永遠のものである」というお考えは、神にはないと思われます。
「もちろん「地」が人たちの意味で使われている例もないと思われます。」と書かれているけれど、ものみの塔が引用している創世記 11章1節の『全地は一つの言語一つの音のみなりき』といくら文語体の旧約聖書の引用であっても見当ちがいでしょう。
ここで「全地」と書かれているのは「に住んでいる人々」を省略して、詩的に書かれただけではないでしょうか。

終わりの時には、邪悪な人たちだけが滅びなければならないのでしょうか。(この項終わり)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-06-13 07:13:50 (56 ヒット)

 しかし、驚くべきことに、エホバの証人たちは、聖書に書かれているこの世の終わりを信じていないようなのである。
では、彼らはどのように考えているのか。
「天地」とは、地球の天と地ではなく、また「地」とは邪悪な人間の社会のことだという。なぜならこの世の終わりに裁かれる者たちは邪悪な者たちだけであるという。そして「天」とは、国の政府のことであり、これらの人たちが信頼を寄せ,援助を求めてきた自分たちの政府,つまり「上にある権威」に助けと保護を仰いできたものすなわち天であるという。

 しかし、このような考えは、まったく聖書に書かれている考えではないと思われる。
聖書には、神に反対する邪悪な人たちだけが終わりを迎えるとは書かれていない。神に従い、イエス・キリストを信じる敬虔な人たちも同じく終わりの時を迎えることがしっかり書かれている。イエス・キリストは十字架ののちに、「あなたがたには神のもとにすまいが用意されている」と弟子たちに告げている。

世の終わりの時に滅ぼされるのは、世界の政府と邪悪な人たちだと、ものみの塔は言っている。
しかしもしそのような考えが正しいとしたら、このものみの塔組織はどうなるのだろうか。エホバの証人たちが信頼をよせ、援助を求めている統治体組織は「天」に該当しないだろうか。また、その下で、聖書に書かれていないでたらめ事を組織にしたがって言いふらしてきた多くのエホバの証人たちは邪悪な滅ぼされる人たち、つまり「地」に該当しないのだろうか。
 彼らエホバの証人統治体は、他人をだまそうとして、自ら罠に、はまってはいないか。

しかし彼ら統治体は、世の終わりに天地が消え去る(新改訳2017)ことには、賛成できない重要な理由がある。
彼ら統治体の広めてきた教理には、信者は2種類あることになっている。1つは、天に行くいや、行っている14万4千人と14万4千人以外の敬虔な信者たちがおり、その人たちつまり一般のエホバの証人たちは、地上で永遠に生きることになっているのだ。
(この教理自体がまったくいい加減の教理なのだが、一般の敬虔なエホバの証人たちはこの教えを深く信じているのだ!)(続く)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-06-12 10:14:34 (46 ヒット)

聖書を読んでいると、この世界の終わりの日について多くの記述がある。

エホバの証人は、あまり今のキリスト者が好まないし、またよく知らないこの世の終わりについて研究して、時に応じて新しい信者を集めたり、旧い信者の士気を鼓舞したりする。彼らはこの情報を自在に操って、偽預言者であることを逆手に取って自らの宣伝に用いる。
 
 彼らの情報提示の特徴は、聖書に書かれてあることを骨抜きにして、自分たちに都合よく利用することにあるようだ。
たとえば、マルコの福音書13章31節には
「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることはありません。」(新改訳2017)とあります。
また、マタイの福音書5章18節には
「まことにあなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します」(新改訳2017)とあります。
エホバの証人は、聖書全巻からというのが好きなので、旧約(ヘブル語)聖書からも引用してみよう。たとえば、詩篇102篇25〜26節には
「あなたは、はるか昔に地の基を据えられました。
天もあなたの御手のわざです。これらのものは滅びます。
しかしあなたはとこしえの方です。
すべてのものは 衣のようにすり切れます。外套のように あなたがそれを取り替えられるとそれらはすっかり変えられます。」(新改訳2017)

 これらの聖書の言葉は、この世の終わりにこの世界が滅びることを予言しているのではないだろうか。もちろん私も個人としては、この世が滅びるなどとあまり考えたくはないのであるが、聖書に書かれていることを否定することはできない。そしてさらに言うならば、神は世の終わりを予言されたとしても、イエス・キリストを信じるひとたちに対してはそこからの逃れ道を用意していてくださることを信じている。(続く)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-06-01 11:02:11 (76 ヒット)

彼らは、聖書は神の言葉だと言っていたはずではなかったのか!?

創世記1章の創世の6日で、この世界が創られたという聖句に対して、反論をしてくる。
JW「あんたがた教会クリスチャンは、この世界が6日で創られたということを信じている。この世界が6日で創られるわけがないじゃない。物理学では、地球はもう何億年もかかって出来上がったと言っている。エホバ神は、物理学者でもあるのよ。そんなに聖書に書かれている6日で神は地球を創ったなんていうウソを信じているなんて。」
「物理学と聖書の書き方は当然違っているはずだ。聖書は霊的に地球の成り立ちを書いているのだから」

エホバの証人(JW)は、聖書を信じるのをやめてしまったのか。昔聖書を信じないクリスチャンのことを笑い話にしていたエホバの証人(JW)であったが、・・・

昔ある教会の牧師が話しておられたことを思い出す。
「エホバの証人(JW)が、聖書に従うということであれば、安心できる。なぜなら、聖書の神様が、必ず、その方向を正してくださるだろうから。」

しかし、彼らは、もうすでにこのようにおおっぴらに聖書の創世の説話をも否定したり無視したりして来たのではないか。とすれば、彼らはもう聖書から離れて聖書とは関係なく独自の路線を行くという危険性が高くなってきたと思うのだ。
 とすれば彼らには、もはやキリスト教の一派という誇りもなくなって、今まで以上にキリスト教と関係ない無法集団となり果てる可能性がある。

エホバの証人集団は、どこに暴走していくのだろうか。

(この項終わり)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-05-06 23:15:36 (237 ヒット)

ひと昔前に、「幸福の手紙」というものが流行ったことがある。それは、一枚のはがきであるが、それには、「この手紙をもらったあなたは必ず幸福になる。しかしそれには条件がある。あなたの知っている人5人に同じ手紙を出さなければならない」という言葉が書かれている。これをもらった人は、そしてこの手紙の文を信じた人は、いやそれほど信じなくとも5人の人に手紙を出さないと逆に不幸になってしまうのであれば出した方が良いと考えて、手紙を出してしまうのだ。
そのように「幸福の手紙」とは、名ばかりで、必要のない手紙を自分の知った人に出さなくてはならなくなった。受け取った人は、いや受け取ってその内容を信じた人はまた同じことを、しなければならなくなった。そのようにそのことを信じた人は無意味なことを無限に続けなくてはならなくなった。
そしてついにその「幸福の手紙」は、『不幸の手紙』と言われるようになったのだ。エホバの証人の奉仕も結局そのように不幸の無限の連鎖を引き起こすようなものではないかと考えた人がいたのである。


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