投稿者 : webmaster 投稿日時: 2012-06-18 19:29:30 (709 ヒット)

エホバの証人のむちゃぶり!は、こんなところではとどまらない。むちゃぶりを既成事実としてさらにその上乗せをしてゆくのが彼らの流儀のようだ。ユダヤ人は、数ある民族の中で一つだけ神に用いられた。神のことばがユダヤ人にのみ告げられた。それは旧約聖書に書かれている事実だ。誰も認めるだろう。

それはそれとしてエホバの証人はユダヤ人の後継ぎだと誰が言っただろうか。
しかしエホバの証人という名を詐称して、彼らは、ユダヤ人のようなものだ、だから神(エホバ)の聖霊の経路だと言っているらしい。まったくどういう神経をしているのだか!と思うのだが、エホバの証人たちはそのことを真剣に信じているのだ。

もう一つ、彼らエホバの証人統治体は自分たちのことを「忠実な奴隷」級だという。

これは、皆さんご存知のことだと思うが、マタイの福音書24:45からに書かれているのを見てみよう。
 
24:45 主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な賢いしもべとは、いったいだれでしょう。
24:46 主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。
24:47 まことに、あなたがたに告げます。その主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。(新改訳改訂第3版)

45 「主人が,時に応じてその召使いたちに食物を与えさせるため,彼らの上に任命した,忠実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか。46 主人が到着して,そうしているところを見るならば,その奴隷は幸いです。47 あなた方に真実に言いますが,[主人]は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう。(エホバの証人の「新世界訳」)

ここに書かれている「忠実で思慮深い奴隷」は誰でしょう。と書かれているのに対して「はい」と手を挙げるのがエホバの証人統治体たのだ。そこに何の根拠も理由もないのだ。これこそむちゃぶりもここに極まれりなのだが、やはりエホバの証人たちはこれを心から信じているようなのだ。

その結果あらゆるエホバの証人統治体の詐術を心から受け入れてしまっているようなのだ。これは恐ろしいことではないだろうか。


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2012-06-16 20:54:26 (634 ヒット)

エホバの証人のむちゃぶりにはみんな開いた口がふさがらない。「むちゃぶり」の使い方がこれで良いのかどうかわからないが、とにかくエホバの証人の神のことば聖書のメチャクチャな適用には誰しも驚きあきれる。

たとえば彼らの名称「エホバの証人」であるが、なぜ彼らがエホバの証人であるか。彼らはエホバが正しいとか主張して誰かにそう呼ばれたのだろうか。他の人や団体などに言われたのであれば、あんなにでたらめの予言をしてそれが一つも実現しないのに、それでも「エホバの証人」と名乗るのは仕方がないと言えるかもしれない。

彼らのエホバの証人と名乗るその理由はなんとイザヤ書43章12節に書かれてあることだというのだ。そこには
それで,あなた方はわたしの証人である」と,エホバはお告げになる(新世界訳)
だから、あなたがたはわたしの証人。(新改訳)

ここにそう書いてあるから、(あなたがたはと神がおっしゃっているのはユダヤ人に対してである。)彼らの団体はエホバの証人だというのだから驚きだ。それが通るなら、だれでも言い出したものが何にでもなれるということにならないか。
志村けんの昔のギャグ「わしは神さまじゃ」を思い出した。しかしこのことは言った者勝ちというものではないだろう。まさに冒涜と言ってよいのではないだろうか。

彼らは聖書の神(エホバ)の名を借りてあれだけのにせ予言をやっておきながら、まったく鉄面皮なカルト団体であるとしか言いようがない。


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2012-06-15 03:48:12 (613 ヒット)

エホバの証人が、「私はクリスチャンです。」と言い出してからもう何年も経っている。
私など、これはエホバの証人だなどと思うと、あ、あなたはエホバの証人ですか。と面と向かって言う。
すると「そうです。」と答えてくるのでおかしくなる。

「クリスチャン」とは、聖書の「使徒の働き」11章26節「弟子たちは、アンテオケではじめて、キリスト者と呼ばれる
ようになった。」ことから、ナザレのイエスを救い主(メシア=キリスト)と信じる者たちをクリスチャンと呼ぶようになったのである。

具体的にはパウロやバルナバなどを筆頭としたアンテオケにいたイエスを救い主と信じて伝道した者たちのことを言った。なぜあの使徒たちはクリスチャンと呼ばれたのか。

彼らはパウロの手紙ローマ人への手紙などではっきり分かるように、イエスの十字架上での死が自分の罪のためであると信じイエスを救い主と自分でも信じて他の人たちにもそのことを宣べ伝えていたのだ。そしてキリストという言葉を繰り返しもちいた。そのためである。

エホバの証人は、それでは何を宣べ伝えているのか。彼らはエホバの王国を宣べ伝えている。神(エホバ)は救い!確かにイエス・キリストが現われる前はユダヤの民は神が救ってくださると信じていた。そして確かにイエス・キリストを遣わして私たちに救いを与えてくださった。現在はイエス・キリストなのだ。

彼らエホバの証人はエホバを宣べ伝えることはイエス・キリストを宣べ伝えることと同じだと強弁するが、これは明らかに正しくない。イエス・キリストが現われた以上、そしてキリストを救い主と信じる者はキリストを宣べ伝えるのが当然である。しかし彼らは統治体に、ものみの塔に命令されているようにイエスが現われる以前と同じようにエホバの王国を宣べ伝える。そこには彼らの救いはないのだ。

試みに、エホバの証人がいたら、ちょっと聞いてみるとよい。
「あなたはキリストが救い主だと信じていますか。」この質問には彼らは逃げるのではないか。
彼らはイエス・キリストを救い主と信じていないのだ。


だから彼らエホバの証人は、自称クリスチャンどころか、偽称クリスチャンなのだ。


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2012-06-14 11:44:09 (655 ヒット)

「聖書は神のことばである」とキリスト教は認めている。またエホバの証人も「聖書は神のことばである」と認めている。そして双方とも神のことばである聖書に従うことを認めその信者たちに勧めている。

ところが、その聖書から出てくるそれぞれの教えはかなり違っている。たとえばエホバの証人の教えからは、輸血をすることは神の教えに反するという命令というより掟が出てくるが、キリスト教では輸血をしてはならないなどという教えはない。

エホバの証人をあまりよく知らない人は、彼らは別の聖書を読んでいるのだろうと思っている人もいるが、実際はそんなことはない。エホバの証人は確かにキリスト教が正しい聖書とは認めない新世界訳という訳の聖書を用いている。その中の聖書の並び順は、キリスト教が認めている新共同訳や新改訳と同じである。

そう、確かに新世界訳は主や神をエホバと訳していたりまたその訳にひどい誤りもある。たとえばキリストの意味である「主」をエホバなどとしたり、これは確かに意図的な誤りとしか思えないものもある。

神のことばである聖書とエホバの証人が本当に考えているとしたら、これはありえない翻訳であり神に対する冒涜である。

しかし彼らにはもっとひどい誤ちがある。それは聖書を信者に読ませないのである。

エホバの証人統治体は、その手下である長老や奉仕のしもべなどによって聖書を隠してしまっているのではないか。彼らはそんなことはしていない。そうではなく、ものみの塔やそのほかの出版物による誤った解釈によってである。

彼らは、聖書は聖霊によって書かれたことを認めている。だから聖霊によって聖書を読まなければならない。解釈しなければならないと言っている。そこまではみな理解できるかもしれない。しかし彼らは聖霊には経路があるというのだ。神は一つの団体を選んで聖霊の経路としたという。その一つの団体とはものみの塔エホバの証人だという。

普通の正常な考えの人には認められない考えである。まったくの独断である。何を証拠にそんなことが言えるのか。

彼らの予言と称するものが今まで正しかったことはない、偽預言団体である彼らの独断である。彼らの予言がこれまで間違ってきたことは何よりも歴史が証明しているのだ。リストを別項に掲載しておいたので参照していただきたい。

だから私の言いたいことは、これである。いくら聖書にイエス・キリストが私たちを神に対して犯した罪に対する罰をあがなってくださる救い主である(前項参照)といってもそのメッセージは彼らに届かないのだ。

彼らは、統治体の偽りの教えに従って、地上で永遠に生きるために、意味なく、一生けん命、家から家への伝道に励んでいる。これこそエホバの証人の悲劇ではないか。(この項おわり)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2012-05-25 15:47:06 (621 ヒット)

続編を書くとお約束したつもりになっていたのですが、そう考えると余計に書きにくくなってしまってアッと言う間に20日くらいたってしまった。もし期待していた皆様がおられるならば、大変失礼しました。お許しください。

続編を書こうと思ってはたと考えてしまったのが、この前の2編がかなり独りよがりだったのではないかということでした。キリストを信じているクリスチャンであればお分かりいただけたかと思うのですが、もしただ聖書もキリストも分からなくて、たとえば娘さんがエホバの証人になって、あっけにとられて、ただ心配している人から見たら、今まで書いてきたことはほとんど意味のないというかよく分からないことになっているのではないかと思ってしまいました。

救いとか救われるとかいう前に人間はどのようなことになっているのかという聖書の見方がまず必要だったのではないか。

聖書を信じている人たちは神様がこの世界に一人おられその方は愛にあふれる神で、全能の神であるということ。そしてその方が愛の心で全世界を、また人間をお創りになったことがいろいろいう前に必要だったということ。神様が良かれと思ってしてくださったことをことごとく反対して自分を神として生きてきた。そのことが人間の不幸の源であることがわたしたちの了解事項でなければならなかったのでした。


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