投稿者 : webmaster 投稿日時: 2011-10-25 18:29:02 (433 ヒット)

私たちはどのようにして神を知るようになるのでしょうか。

このような質問にはギクッとします。

そしてこの著者は続けてどのような方法で知ったかによって、その知識はおおかた決定されると言っています。

たとえば月の表面についての私たちの知識は、太陽光の反射によって知るものでした。それは大した量のものではありませんでした。しかし何十年かして月の表面から持ち帰られた物質によって詳しい調査ができたとき私たちの知識は格段に進歩しました。

しかし月が変わったわけではありません。

私たちはどのようにして神の知識を得たでしょうか。ものみの塔によってでしょうか。
聖書によってでしょうか。
あるいは漫画によってでしょうか。

私たちの知識のルーツを知ることは、ある場合には、そしてある意味では何にもまして必要なことかもしれません。
(この本の著者はアリステア、マクグラスです。)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2011-09-29 19:32:40 (429 ヒット)

イエス・キリストは、たとえを用いてお話をされた。そして弟子たちにその理由を聞かれたとき、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また悟ることもしないからです。(マタイ13:11〜13)と答えられた。

イエス・キリストが話されたとき、イエスを否定する人たちに話す場合が多かったようでありそのためにもたとえによって誤解をされないように内容を伝えなければならなかった。

エホバの証人は、このことを自分勝手に利用して、だから聖書は聖霊によって理解しなければならないなどと言っている。

だが本当にそうだろうか。イエスはまた弟子たちに話したときもそうだったし、弟子たちはイエスの言葉をやはり理解できなかったようである。

また今現在私たちが聖書を読むときそのようなことが言えるのだろうか。

イエス・キリストのそのたとえ話を読んでみていただきたい。読んだ方はたとえ話がそのままわからないままになっていないことがすぐにお分かりになるであろう。イエスは必ずそのたとえの解き明かしをしていることがわかる。弟子たちに解き明かしをされたその解き明かしが逐一記されているのである。

イエスが言われたたとえの意味は、今読んでいる私たちに、聖霊のそそがれていない私たちに解き明かされている。そしてその意味をよく理解できるのである。

イエスは、また聖書は、聖霊のそそがれていない私たちに、聖霊によって語られたことを丁寧に教えておられるのではないだろうか。そして語られたお話の霊的理解を促されているように思われる。

だから私たちは聖書を読んでいくうちにその意味を理解し、ついにはイエスキリストの真理に招かれイエス・キリストを信じて聖霊のそそぎを受けるようになるのだと思う。

全能の神からのお手紙であれば、そのようなことはお見通しであり、聖霊の導きによって正しい理解をすることができるようになるのです。

神は決してものみの塔統治体のするような全く違った意味として誤解をするようには導かれないのであります。(以上)


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2011-09-24 21:51:51 (436 ヒット)

<p>イエス・キリストは信じる者の罪を赦すために十字架にかかった。このことは聖書にどこにでも書かれているし間違いのない事実と思っていた。</p>
<p>エホバの証人は、イエスによって罪を赦されるのは天に行く14万4千人だと言うが、これは何ででしょうか。</p>
<p>聖書には人間が2種類に分けられるとはどこにも書かれていない。またイエスの犠牲によって赦されない人はいないはずであるのに。</p>
<p>エホバの証人はひどい現実を見せられている・・・統治体の誤導によって。</p>
<p>エホバの証人はかわいそう!</p>


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2011-09-22 10:20:10 (447 ヒット)

<p>各地の大地震、特に日本の東日本大地震に、エホバの証人は刺激を受けているようだ。これは、もちろん、ブルックリンの統治体がこの出来事を最大限に利用しているということだと思う。</p>
<p>エホバの証人に関係のない人たちなら、またやっているなですむことだろうが、近くにエホバの証人がいる家庭や人であればそのような他人ごとでは済まない。</p>
<p>彼らエホバの証人統治体は、確かに歴史的な出来事としてにせ予言をしてきた。神の名をかたって預言をしてそれが実現しなかったのだ。これが聖書の言うにせ予言である。これらのにせ予言者は終わりの時にはサタンとともに底知れないところに落とされ、消えない火によって苦しめられるとは聖書に書かれていることである。</p>
<p>⇒ヨハネの黙示録19:20→すると、獣は捕らえられた。また、獣の前でいるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も彼と一緒に捕らえられた。そして、この二人は、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで、投げ込まれた。</p>
<p>終わりの時、終わりの時と彼らは繰り返すが、実はエホバの証人統治体がその恐怖におびえているのではないか。</p>
<p>にせ予言の罪、さらによく知らない人たちを誤導している罪、これらによって間違いなくエホバの証人統治体は裁かれるはずである。</p>
<p>その裁きをすら、彼らは1914年にイエスが臨在したなどというごまかしをしたために真の神の裁きをごまかすという罪を上塗りしたのである。</p>


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2011-08-23 19:17:46 (449 ヒット)

<p>なんでそうなるの?とは、コント55号の大うけしたセリフだ。</p>
<p>小学校でもその理由を聞きなさいと先生は勧めるのではないでしょうか。</p>
<p>でも、エホバの証人は長老がいうことに、なんで?と、なんでそうなるの!?と聞けないという。</p>
<p>それこそ、何でそうなるの!?とエホバの証人に聞きたいところだ。</p>
<p>しかし本当はそういうことはあまり珍しいことではない。あなたご自身を考えてみていただきたい。どのような時にそういうことになるだろうか。</p>
<p>たとえば、偉い人、天皇陛下が来て何かを主張したとき、どうしてと言える人はいないだろう。</p>
<p>エホバの証人の長老(キリスト教会でいえば牧師)が言うことは、ものみの塔の記事をほぼそのままにしゃべるのだけれどそれだけ権威をもって語っているということだろう。また周囲の人たちの空気がそのようにさせているとも言えるだろう。</p>
<p>彼らは、聖霊の経路はひとつの組織だけで、それはエホバの証人だというのだ。そのような権威づけがあるために質問ができない。それがむちゃな聖書解釈を正当化していっているのだ。</p>
<p>そのようにして「無理が通れば道理が引っ込む」といういろはかるたの格言が今も生きてしまっているのだ。</p>
<p>かれらにとって、聖書は神のことばと言っているが、さらにその上を行くのがものみの塔であり彼らの統治体が作る書籍なのだ。</p>
<p>そしてその組織から離れるのはそのことを認める人にはとてもむつかしいことなのだ。</p>
<p>でも1回でもにせ予言をした者は、聖書によれば「死」あたるのである。</p>
<p>そのようにしてにせ予言団体が生き延びていく。</p>
<p>&nbsp;</p>


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