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メッセージ : 聖書を読んでから祈るか?祈ってから聖書を読むか? 
投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-08-05 17:18:18 (48 ヒット)

    

私がある神学校に通っていた時、朝のデボーションの話しの中で、ある教師が「祈ってから聖書を読みなさい。」と言われた。
私は、その時ふと疑問を感じた。なぜこの方は「聖書を読んでから祈りなさい」と言わないのだろうかということだ。

私は、聖書を学ぶためにこの学校に来ている。聖書には神様について正しいことが書かれている。ならば、聖書を読んで正しく祈るのが、良いことなのではないか、というのが本当ではないだろうか。隣にいた人にも確認してみた。確かに先生は祈ってから聖書を読むように言われたことがわかった。

どっちでも良いことかもしれなかった。祈りを先にするのか、それとも聖書を読むのが最初か。何故かそのことに引っかかった。

そのうちにヨハネの福音書を読んでいた時、5章39節にあった。以下のように書かれていた。
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。それなのにあなたがたはいのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。」(ヨハネ5:39〜40・新改訳2017)

わたしは、ハットした。私はこの聖句にあるように、聖書の中に、神を、またキリストを追い求めていたのではなかったか。神もキリストも、この聖書の中に閉じ込められているわけではないはずだ。この聖書には、確かに神が書かれているだろう。またキリストも書かれているだろう。そして永遠のいのちのことも。罪の赦しも。

しかしそこに書かれているのは、この世界の、この宇宙について、大事なことが書かれているだろうが、すべてではないし、実際のことは聖書の中にあるのではなく、聖書が実際のことの一部分を書いているのではないかと気づかされた。
聖書が現実世界について書いているのなら、現実はさらにもっと大きいものではないかと考えさせられた。

エホバの証人のものみの塔ほかさまざまな書物についても、同じことが言えるのではないか。ものみの塔が聖霊によって書かれているというなら、エホバの証人たちは、その書物を読むだけではなく、エホバ神に祈って、聖霊を与えてもらいなさい。そして聖霊によって聖書の真理を教えてもらうことができるはずである。エホバ神は「ものみの塔」や書籍よりもずっと大きいものであるはずだから。(この項終わり)


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