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メッセージ : 続・もう一度、ヨハネ3:16から
投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-04-23 16:52:19 (34 ヒット)

では、多くのパウロの手紙、つまりローマ人への手紙、ガラテヤ人への手紙、コリント人への手紙、エペソ、ピリピ、コロサイなどの手紙に書かれている、「信仰によって救われる」という文書類について、エホバの証人統治体はどのように考えているのであろうか。彼らは、そのような手紙で言われている「信仰によって救われる」ことは、天で支配する14万4000人だけに該当するので、地上で永遠に生きるという今を生きる大多数のエホバの証人には当てはまらないなどと言って棚上げしているのだ。もちろんヨハネさん、ペテロさんの手紙なども。

そして本当は孤立無援の!エホバの証人統治体にとって頼りにすべき最大の援軍は、ヤコブの手紙に尽きるのではないだろうか。彼らにとって藁(わら)をもつかむ考えなのだ。(そういえば、ルターは、ヤコブの手紙のことを、『藁(わら)の書』と呼んだそうだが、・・・)
ヤコブの手紙の「行いによる救い」攻撃についてはどのように考えたらよいのであろうか。この手紙は、本当に「行いによって救われる!」ことを主張しているのだろうか?
最新の(新改訳2017)の訳文でヤコブの手紙を引用してみる。
ご参考
ヤコブの手紙2:14私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。
2:15もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、
2:16あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい。」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。
2:17それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
2:18さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行ないを持っています。行ないのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行ないによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。(新改訳2017)

よく読んでみていただきたい。ヤコブは、「人は信仰でなく、行いによって救われる」と言っているでしょうか。ヤコブは、あくまで行いではなく、信仰が大事だと言っているのではないでしょうか。また信仰と行いの比較をしているわけでもありません。ただ「信仰」と言っても単に「信じている」と言うだけの信仰であれば、真の信仰と言えるのでしょうか、と疑問を投げかけています。信仰があれば、当然のこと行いにも現れるはずだと言っているのではないでしょうか。
「信仰が大事、信仰によって救われる」という基本的なことは、少しも揺らいではいません。ヤコブは、その信仰のありかたについて意見を述べていると思われます。
エホバの証人統治体の言うように、「信仰によっては救われない。行いによってのみ救われる。」ということではないと思われます。大事なことなので、もう一度言いますが、聖書は、ヨハネ3:16にあるように「真の信仰によって救われる。」ということは間違いないこととしています。


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