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メッセージ : もう一度、ヨハネ3:16から   
投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-04-21 20:15:20 (139 ヒット)

私にとってヨハネ3:16に何があったか、話してみたい。
事の発端は、ある会合で、ある兄弟が、新世界訳聖書ヨハネ3:16の訳文がおかしいと教えてくれた。ヨハネ3:15のギリシャ語ピスチューオウの訳は、「信じる」となっているのに、次の節の16節では同じことばが「信仰を働かせる」となっている。これはおかしいのではないか、ということであった。うかつに、私はこの「信仰を働かせる」は、新世界訳聖書は、何かの理由で、この「信じる」というギリシャ語ピスチューオウを強調して翻訳したのではないかと思い、そのように返事をしていた。このピスチューオウというギリシャ語はどんなに考えても「信じる」「信じ込む」などの意味より発展することはできないと思われたからである。(その後ギリシャ語辞典で調べてみたが、基本の「信じる」の意味を超えることはなかった。)15節の訳が「信じる」であり、16節の訳が「信仰を働かせる」であったとしても、強調するか否かの違いと思われた。
しかし、驚いたのは、エホバの証人の主の記念式においてこのヨハネ3:16の訳について、ある長老が「信仰をもって働く」と注解したことだ。そしてこのように信仰をもって働く、つまり奉仕をしているのは、エホバの証人だけだ。だから地を受け継ぐのはエホバの証人だと講演をしたというのだ。このヨハネ3:16の訳は、青天の霹靂、超絶翻訳に思えた。まして長老が、である。長老の講演は、本部からその骨子が来て、それを少し調整して講演をするのだと聞いた。つまり、この解釈はエホバの証人統治体から来ている可能性が大きいのだ。
ヨハネ3:16は、1行聖書と言われるにふさわしく私は聖書全巻の要約として信じていたからである。この聖句にあるように、(エホバ)神が遣わされた神のみ子イエス・キリストが私たちの罪のために十字架にかかられたことを信じる者はひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つ、すなわち救われると信じているからである。
参考
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16新改訳2017)
エホバの証人は依然として信仰による救いではなく、行い=奉仕による救いを信じているのだということを再確認させられたのだった。
彼らは、聖書に「どんなに行いによっては救われない」と書かれていたとしても、いまだにというか、敢然とそれを無視して、行い=奉仕による救いを信じている人たちなのである。
というよりも、確かにエホバの証人団体は、まじめな一人一人のエホバの証人の一軒一軒への訪問によって成り立っているのだとすれば、行い(訪問)活動を美化して推進させることは彼らの団体の死命を決するような大事なことなのだ。
つまり、彼らエホバの証人を統括するエホバの証人統治体は、エホバの証人が救われるかどうかよりも(!!)その訪問活動によって自分たちと同じ不幸な活動する人を増やしその組織を維持する必要がどうしてもあるのだ。(つづく)


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