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メッセージ : 「信仰」の働きについて
投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-04-17 11:11:36 (9 ヒット)

イエス・キリストの福音書を読んでいると、「信仰」の働きがどんなに大きなことかを思わせられる。イエスに信仰を持った人たちにどんなに素晴らしいことが起きたであろうか。
たとえば、マルコの福音書5〜6章などを読んでみると非常によく分かる。イエスを信じた人すべての人たちの病が癒されるのである。
しかし、驚いたことに、この6章6節には、イエスを信じなかった人たちのことが書かれている。イエスを信じなかった人たちは、イエスの郷里の、つまり出身地の人たちであった。イエスを昔から知っている、いや知っていると思っていた人たちであった。その人たちにどんなことが起こったか、みてみよう。

マルコ6:1~5節を引用してみる。
『イエスはそこを去って郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。安息日になって、イエスは会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのだろう。この人に与えられた知恵や、その手で行われるこのような力あるわざは、いったい何なのだろう。
この人は大工ではないか。マリアの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄ではないか。その妹たちも、ここで私たちと一緒にいるではないか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。イエスは彼らに言われた。「預言者が敬われないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」
それで、何人かの病人に手を置いて癒されたほかは、そこでは、何も力あるわざを行うことができなかった。
イエスは、彼らの不信仰に驚かれた。(新改訳2017)』
イエスは人にも自然にも力ある方であったが、ここから読む限り、イエスに対する信仰が、イエスが奇跡を行なうのに何らかの力となっているに違いない。イエスは、ご自身への人の信仰がない場合には、そこでは、何も力あるわざを行うことができなかった。と、聖書に書かれているのである。イエスは、そこにおいて奇跡を行なうことができなかった。
これは、奇跡を行なうことに限られることなのであろうか。イエスの信仰による救いにも、当然関係があると言って良いのではないだろうか。
イエスの十字架の後、パウロやペテロ、ヨハネが説いたイエスの信仰による救いについても少なからず言えることではないかと思う。
このことを同列に比較することはできないとは思うが、イエスが罪びとを救う力があるとしてもイエスを信じない人に対してはその御力を働かせることはできない、つまり「救われない」ということではないか。


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