メッセージ
メッセージ : 聖霊によって
投稿者 : webmaster 投稿日時: 2018-01-06 18:06:08 (195 ヒット)

JWエホバの証人は、最近なんと創世記1章に書かれている神の6日間の創造を否定するようになった。
驚くべきことを自ら明らかにしてきている。エホバの証人という名前は、聖書にある神のわざの証人となることではなかったのか。確かに神のわざについてはっきりとしないことはあるかもしれない。しかしそれを科学の名のもとに否定することは、自分の存在価値を否定することではないのか。またむしろそのことに気がつかないことに非常な恐ろしさを感じるのはわたしだけであろうか。それでもなおエホバの証人を名乗って恥としないのは、自ら名乗っている「エホバの証人」の意味がまったく分からないのではないか。

聖霊によって書かれた聖書を、聖霊の経路!であるJWが否定する矛盾について書きたいと思う。
聖霊を受けた人たちと主張するJWが、聖霊を受けた人たちによって書かれた聖書を否定するものだろうか。 それともJWが受けた聖霊は、聖書を書いた人たちが受けた聖霊と違うものだろうか。
いや、聖書には聖霊は神が変わらないと同様にいつまでも変わらないと書かれている。では、何故彼らJW統治体は聖書に書かれていることを否定するのだろうか。つまり彼らJW統治体が聖霊を受けた、または受けていると主張していることに疑問符をつけなければならないということだろう。

 それで、私たちと同じ異邦人たちはどのように聖霊の経験をしたのだろうか。聖書がどう言っているか聖書を読んでみたい。不思議なことに、このような記事は「使徒の働き」に集中している。イエスはわたしが去った後、もう一人の助け主聖霊をあなたがたに送ります。と福音書で言われているので当然だろうが。

 まずペテロの経験を読んでみる。ペテロはユダヤ人で、異邦人に対する伝道は異邦人は汚れたものと考えていてできない。そこで神は夢によってペテロを説得する。律法で食べてはいけないとされている汚れた動物たちを天から示されて、これを食べよと命令する。ペテロが拒否すると、神は、「神がきよめたものを、きよくないと言ってはならない。」と言われた。ペテロが異邦人に対する伝道を断らせないためである。
 そこへ異邦人ローマの百人隊長であるコルネリオからの使いがやってくる。そしてペテロと仲間たちはコルネリオの家に行ってイエスを宣べ伝える。
「そこで私が話し始めていると、聖霊が、あの最初のとき私たちにお下りになったと同じように、彼らの上にお下りになったのです。」(使徒11:15)ペテロは、神は異邦人でもイエスを信じる者には聖霊が与えられることに気がつくのだ。
 ここで、よくよく考えてみよう。聖霊を与えたのは、イエスを宣べ伝えたペテロだろうか。
エホバの証人は、ペテロや主の兄弟ヤコブなど当時エルサレム教会にいた使徒たちが、エホバの証人統治体だと主張している。もし仮に百歩も千歩もゆずってそうだと仮定してみてもこのローマ人の百人隊長コルネリオに聖霊を下されたのはペテロではない。ということは、エホバの証人統治体が聖霊を下したのではないということだ。ペテロは、その後の11章17節でこう言っている。
「こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」
 まして、何故偽預言者団体であるエホバの証人統治体が、神の聖霊を与える聖霊の経路であるなどと主帳できるのだろうか。


印刷用ページ