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メッセージ : 続:エホバの証人は、「奉仕」で永遠に生きられますか。
投稿者 : webmaster 投稿日時: 2017-06-16 09:53:57 (140 ヒット)

2.「奉仕」をすれば救われますか。
ところで、彼らエホバの証人は、その行いを持っているというのだが、・・・彼らの行いというのは、言うところの「奉仕」を指しているのだ。そして彼らの中では、この「奉仕」ができるようになると、信仰があるとみなされるらしい。
ということを考えてみると、彼らの中ではむしろ信仰があれば行いがあるということではなく、行いがあれば信仰があるとみなすということになり、ヤコブの手紙とは全く違う結論になっている。

しかし彼らエホバの証人の行いとは、この「奉仕」という伝道活動のことである。この奉仕活動は、ヤコブにとって、いや、神に対する「奉仕」となるのであろうか。
もちろん、聖書を一行でなく、聖書全体から理解しているエホバの証人であり統治体だというから、よく読んでいると思うが、ヤコブの手紙の少し離れた箇所を読むと、伝道活動は、ヤコブの「行い」のうちに入っていない。
このように書いてあります。
「私の兄弟たち。あなたがたは私たちの栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、人をえこひいきしてはいけません。」(ヤコブ2:1)
ヤコブは、イエス・キリストを信じているなら、えこひいきをしてはいけない、というのです。そして「もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という最高の律法を守るなら、あなたの行いは立派です。」(2:8)とヤコブは続けます。
それならヤコブは、律法の行いを守ることによって救われる、神の罰から逃れられるというのでしょうか。
しかしヤコブは「律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。」(2:10)といい、「なぜなら、『姦淫をしてはならない』と言われた方は、『殺してはならない』とも言われたからです。そこで、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者になったのです。」(2:11)と続けます。
つまりヤコブは、人間は律法の行いによっては決して救われることができないことを認めているのです。なぜなら、人間はすべての律法を守ることはできないから。
では、何によって?すぐそのあとに書かれている「自由の律法によって」はイエス・キリストのことだとある注解者は言います。
とすれば、ヤコブもパウロと同じ結論であることが分かります。

確かに「信仰」が本物だったとしても、頭の中だけのものであれば、何の役にもたたないでしょう。その信仰は偽物と言ってよいのではないでしょうか。真の「信仰」であれば、必ず行いになって表れるはずだからです。

しかしその信仰による「行い」は、エホバの証人のいう「奉仕」ではないことは明らかです。「彼らの奉仕」は、パウロのしたようなイエス・キリストを宣べ伝えることではありません。もちろんエホバの証人がパウロのようにイエス・キリストを宣べ伝えたとしてもそれで罪赦され神の国に入ることはできないでしょうが。
エホバの証人がその組織の命令に従って、「奉仕」をしてエホバのみ名を宣明するということをしたとしても、それは神の国から遠く離れている奉仕だということを認識しなければならないでしょう。聖書に書かれていない偽予言団体のための勝手な奉仕だからである。(この項終わり)


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